5 掴まっちゃった
「……はぁ」
あの場にいたのに、あんなふうに誤魔化されるなんて、ちょっとどころじゃなく落ち込んじゃう。
でも、王寺君に僕の存在を認めて欲しかったと思うなんて、おこがましいよね!
そうだよ。僕は今までそんなこと望んでなかったし、これからも望まない。
それに僕じゃないって思われてた方が王寺君の寝顔を堂々と眺められたりするよね?
そうだ! 知らん顔して本をしまってれば見放題ではないのか……!
僕は興奮して、鼻息が荒くなってしまった。
こんな姿、王寺君には見せられない。きっと気持ち悪いとか思われるし。ま、その前に僕なんてスルーだよね。うんうん。
「落ち込んでたかと思えば、急に鼻息荒くなって……なに、詩キモイんだけど」
「うるさいよ、しんちゃん! 僕だって気持ち悪いって思うけど、はっきり言わないで!」
「はいはい……。ま、元気になったみたいで良かったな」
「うん。自分がどんな存在かをちゃんと認識しなおしたから、もう見失わないよ!」
「……おまえってホント方向間違えてるよな」
「ん? なになに?」
「んにゃ、何でもない」
しんちゃんはなんだか残念そうな顔をしてるけど、僕に何かを伝えたいならきっとちゃんと説明してくれるだろうし、今は良いってことだよね。
僕は明日の昼のための本を確保しに精を出したのだった――のだけれど。
な、なんでまた来るの!?
僕が覗いていると、王寺君がパッと目を開いて、こちらを窺ってきた。しかも、王寺君は昼寝を中断し、立ち上がって、僕の特等席である棚の列までやって来たのだ。
僕はと言えば、そりゃ逃げるよね。
二回もばったり会ったら、流石に不審に思われるし、王寺君に次こそ「キモイ」って言葉を浴びせられるかもしれない。
そんなことになったら、僕の心がポキっと折れちゃう。
「おかしいなぁ……」
と王寺君は不思議そうに誰もいない通路でそう呟いていた。
それからも、王寺君が立ち上がれば、僕はささっと逃げて違う通路に、って言うのが続いた。そんなことになれば流石に僕だって困る!
ゆっくり王寺君の寝顔を見れないんだから。それに王寺君だってゆっくりお昼寝できないし……。
と、そんなことを思っていたせいか、一歩逃げるのが遅れた。
「おい、待てって!」
背後から王寺君のカッコイイ声がかかるけれど、待ってられるかぁ!
僕は火事場の馬鹿力と言うやつで、何とか委員専用の部屋に逃げ込んだ。
王寺君はもちろん期待を裏切ることなく運動神経もいい。少しの遅れが命取りになるんだ。
全神経を脚に集中させて、全速力で駆け抜けなければならないのだ!
「よくやるよな、毎日……」
「僕だって、ゆっくり王寺君の寝顔みたいんだよ! でも王寺君ちゃんと寝てくれないの!」
「まあ、なんていうか、ご愁傷様。最近吹っ切れて来たな……。王寺のこと好きって隠しもしなくなってきて、いい傾向だと思うけど。正体ばれるのも時間の問題だよな。ま、頑張れ」
「そこ! 不吉なこと言わない!」
「はいはい、悪うございました」
そう、しんちゃんがあんなこと言うから、あんなこと言うからこんなことになってしまったんだ……。
今日は珍しく王寺君がゆったりと寝ていた。
起きるかな? と様子を見てたけど、起きる気配はない。
最近、お昼寝できてなかったから、疲れもたまっていたのかもしれない。
「ふふふ」
きっと、諦めてくれたんだね。
久しぶりに気持ちよさそうに眠る王寺君の顔を見れて、僕は頬が緩みまくっていた。
本当に綺麗だし、カッコいいし、うっとりしちゃう。
シャープな印象の眉と瞼を縁取る長い睫毛、形のいい薄めの唇。どれもが芸術品みたいなんだ。
もし僕が可愛い後輩だったら……き、ききキスとかできてたのかなぁ……?
そんなのも夢のまた夢の話。でも、妄想するぐらいは許されるよね!
たまにジーっと見つめては、たまにちらちらと覗きながら、ワゴンに載った本を手に取りつつ、本棚にしまう。
そして、本をしまって、チラっと王寺君を目にいれようと覗き込んだ時だった。
「え」
王寺君がいない!?!?
ま、まままま待って――!
僕は悪い予感がして、その場から全速力で駆けだした。
「あ、待てって……!」
予想通りだ。王寺君、気持ちよく昼寝してるフリして、僕をハメたな!
僕のことなんてスルーしてくれたらいいのに!
棚の角を曲がった時だった。
だん、と強い一歩が踏み出された音がした後、僕の腕が何者かに掴まれたのだ。
「――っ!」
「待てって言って、る……」
僕は振り返ってしまった。
バッチリと王子様と目が合う。切れ長の凛々しく輝く黒い瞳がしっかりと見える距離だ。どう考えても言い訳のできない状況で、しかも僕の腕に王寺君の指が食い込んでいる……!!!
昇天してもいいですか……?
「――よ、由川……?」
そんな天にも昇りそうな気分を突き落としたのが王寺君の声だった。
驚きと戸惑い。そんな感情が露わになっていた。
「っ」
あ、これ結構ショックだ。
おまえなんかが? って思われてるよね、絶対。
「そ、その……もしかして、俺のこと見てたの、由川……?」
この状況でいいえって言って、どうにかなるわけない。
とツッコミたくなるけど、それぐらい信じられないことだったんだ。僕みたいなのが見てると思わなかったんだよね。
「離して」
声が震えた。
手を振り払おうとしたけど、王寺君の指の力は一層強くなっただけだった。
「離すわけないだろ。やっと捕まえたのに」
「……っ」
捕まえてどうするの? こいつストーカーだ、ってみんなの前に晒すの?
じわりと目尻に涙が浮かんできた。
「な、なんで泣いて……」
王寺君の顔色が心なしか青い気がする。でも僕の目の前は徐々に涙で霞んで、それも見えなくなっちゃったけど。
「ごめん。怖かったか? 痛かった?」
僕の腕を掴む王寺君の指から力が抜けたと思ったら、次は引き締まった腕で体をがっちりホールドされてしまった。
こんなことしなくても、もう逃げないのに……。好きなだけ僕のこと晒し者にすればいいよ。僕だって、ストーカーしてたって罪の意識は感じてるんだから。
「逃げないから。離して」
「離さない。由川が俺のこと見てたって分かって、俺が今どんな思いか……」
やっぱり、気持ち悪かったんだ。
僕は耐え切れずに、嗚咽を漏らした。
「由川……、俺――」
「ごめんなさい……っ! もうしないから……覗いたりしないから。僕みたいなのに覗かれて、気持ち悪いに決まってるよね……」
ごめんなさい。
小さく最後に呟けば、「由川って……」という驚いたような声が降ってきた。
「もしかして、自己評価、低かったりする……?」
「……?」
自己評価?
僕はただの根暗なヒキコモリだし、低いなんて思ったことないのに。
「まじか……ヤバ……くそ……」
王子様の口から「くそ」なんて言葉が出てくるとは思わなかったけど、王寺君はなぜか顔を赤くして、口を手で抑えている。何かをこらえているみたいだ。
「ヒドイ……」
「えええ?!」
「僕のこと、笑ってるんでしょ……? 僕みたいな根暗なヒキコモリが何してるんだって」
「根暗……って、はぁ……なるほどな」
王寺君は何かに納得したように、ふっと軽く笑い。僕を一層きつく拘束した。
「俺、由川のことすごい誤解してた」
「誤解……?」
「自分が何って呼ばれてるか知ってるか? 『氷の女王』」
え、なにそれ。氷の女王?
二つ名的な? うわ、厨二病みたい……。
「馳にしか心を開かない心を閉ざした王女様だよ」
「な、なにそれ! 気持ち悪っ!」
余りの気持ち悪さに、涙も止まってしまった。
僕が寒気にフルフルと体を震わせていると、王寺君が、ぶはっと噴き出した。
「これが素かよ……。……マジ、可愛すぎだろ……」
「ど、どうせ僕の性格は可哀想すぎだよ! しんちゃんに何度も言われてるんだから、そのぐらい分かってる!」
「――ぶっ」
王寺君がケラケラと笑う。
その目には涙まで浮かべて。
ヒドイ。そんなに笑わなくったっていいのに。
「はぁ……たまんない。そっか。馳は由川のこの姿、独占してたんだな。ずりーな、全く。――でも、俺ももう知ったしな」
王寺君はニヤリとちょっと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「この性格、絶対秘密にしとこ。馳はともかく、俺だけに見せてな、由川」
「どういう意味? ストーカーしてたの隠してくれるの?」
「あー……わかった。隠しとく。誰にも言わない。俺と由川の秘密な」
「ひ、秘密……?」
す、すごい魅力的な響きですね。
「よくわかってなさそうだから、ちゃんと言わせて」
「うん。なに? 指きりげんまんでもするの?」
「ぶっ! 違うって。告白」
告白?
何の告白?
「俺、ずっと由川のこと見てた。馳にかなり邪魔されたけど、ずっと見てた」
「見てたのは僕の方でしょ?」
「……いいから。好きなんだ。由川のこと」
「好き?」
「そう。冷たいオーラ出してるし、馳が睨み利かせてるし、雲の上の存在だと思ってた。絶対近づけない存在。ずっと好きだった」
「好き……えっと……僕が王寺君のこと好き……?」
「そうであって欲しいとは思うけど。俺も由川のこと好きなの」
「僕のこと、すき……王寺君が僕のこと、好き……って、えええええ――むぐっ!」
僕の口を押さえつける様に王寺君が手で塞いだ。
「図書委員長だろ。声上げるなって」
「だ、だって……えええ、だって……」
かあああ、と音が出そうなほど、顔に血が集まってきて熱を発する。
何だか感極まって涙まで出てしまった。
「……くっそ……反則……可愛すぎだろっ」
何だか、ちょっと怒ったように言葉を発した王寺君に僕は強くホールドされた。
そろそろ窒息して死ぬんじゃないかと思ったところで、やっと解放されたんだけど、王寺君は真っ青な顔で僕を見下ろしていた。
「うわ、俺なにしてんだ……っ!」
そう叫んだ王寺君は、クラクラとしている僕を抱え上げて、保健室まで連れて行ってくれた。